原子力システム研究開発事業及び原子力基礎基盤戦略研究イニシアティブ 成果報告会資料集
DNA二重鎖切断の認識・修復の初期過程に関する研究
(研究代表者)松本義久 原子炉工学研究所
(研究開発期間)平成20年度〜21年度
1.研究開発の背景とねらい
本事業では、原子力・放射線の安全・安心利用と癌放射線治療の向上に資するために、放射線の生物・人体影響の鍵を握るDNA二重鎖切断に対する生体防御機構、特に、放射線被ばく後極めて早期(数分以内)に起こる損傷認識、修復複合体形成機構を探ることを目的として行った。具体的には、研究代表者のこれまでの独自の研究を発展させて、DNA二重鎖切断のセンサーと考えられるDNA依存性プロテインキナーゼ(以下、「DNA-PK」と略す)の基質とリン酸化の意義の解明、DNA二重鎖切断修復に関わる高次複合体の成分と形成過程の解明を実施した。前者については、新規基質およびリン酸化部位の探索、細胞内でのリン酸化の検証およびリン酸化の意義の検討を行った。後者については、複合体の単離、複合体の成分同定と翻訳後修飾状態の解析および複合体の形成過程の解析を行った。
2.研究開発成果
1)DNA-PKの基質とリン酸化の意義の解明
これまでの検討を含めて、XRCC4について5ヶ所のリン酸化部位が明らかになった。細胞の種類によって起こり方の違いはあるが、これらの全ての部位においてリン酸化が認められた。以前に、XRCC4については、N末端側の約200アミノ酸がDNA二重鎖切断修復において必要十分であるという報告がある。また、N末端側の約200アミノ酸の領域についてはX線結晶解析により、構造が決定されているが、C末端側の残りの領域は秩序だった構造をとっていないとされ、構造解析の際に除外されている。今回明らかになったリン酸化部位のうち4カ所はこのC末端側の領域に存在する。更に、そのうち少なくとも3カ所は変異を導入すると放射線感受性の上昇など、XRCC4の機能低下が見られた。このことから、XRCC4のC末端にはDNA-PKによるリン酸化を介した制御のために必要な領域が含まれると考えられた。実際、リン酸化部位の周辺では動物種間で配列の相同性が認められた。
これまでDNA-PKは類似分子ATM、ATRとともに、専らグルタミンに隣接するセリン、スレオニンをリン酸化すると考えられてきた(SQ/TQ則)。XRCC4の中でこれに該当するのはSer53のみである。本研究の結果から、確かにSer53はDNA-PKによってリン酸化されるが、その他に少なくとも4つのSQ/TQ則に従わないリン酸化部位があることが明らかになった。これは、DNA-PKおよび類似分子ATM、ATR研究に重要な示唆を与えるものである。
2)DNA二重鎖切断修復に関わる高次複合体の成分と形成過程の解明
放射線照射および非照射細胞から界面活性化剤を用いた分画、ヌクレアーゼ処理、抗FLAG抗体を用いた免疫沈降の3段階の操作を通じて、クロマチン結合状態にあるXRCC4を含む複合体を単離した。次に、「複合体の成分同定と翻訳後修飾状態の解析」において、この複合体についてウェスタン・ブロッティング法や質量分析法などを行った結果、複合体にXRCC4、DNA ligase IVの他、ヒストン、核マトリックスタンパク質、RNA結合タンパク質などが含まれることを見出した。また、「複合体の形成過程の解析」においては、欠損細胞やsiRNA、阻害剤などを用いた検討により、XRCC4のクロマチンへの結合にDNA-PKcsは必要ではないが、DNA ligase IVが重要な役割を担うことを明らかにした。
複合体にRNA結合タンパク質群が多数含まれていたのは極めて興味深い。この結果から、NHEJにおけるRNAタンパク質の役割という新たな問題が浮かび上がった。また、NHEJの最終段階であるDNA末端同士の結合反応を司るXRCC4-DNA ligase IV複合体をDNA二重鎖切断へ動員する仕組み、あるいはインターフェースがDNA ligase IV分子に存在することが明らかになった。今後、インターフェースとなる領域を絞り込んで行くことにより、放射線増感剤開発の標的などが見出される可能性がある。
3.今後の展望
本事業の成果は、新しい研究フィールドの創成や放射線感受性の予測や制御への新しいアプローチにつながることが期待される。
放射線治療における本研究の成果の応用の一例として、さまざまなタンパク質のリン酸化の経時パターンやクロマチン結合状態から放射線感受性の予測を行うことが考えられる。将来的には、DNA損傷修復や細胞応答に関わる分子群やその翻訳後修飾状態に対応する抗体を配置した「アレイ」のようなものを作り、そこに、がん組織、正常組織を採取し、試験的な放射線照射後にタンパク質サンプルを反応させて、全体的なパターンから放射線感受性を予測するようなシステムが考えられる。これにより、がんの治療効果と正常組織障害の両面のバランスから、個別化した最適線量(1回当たりの線量および総線量)による治療が行えるようになると期待される。そのためには、まず、さまざまなタンパク質リン酸化やクロマチン結合と放射線感受性との相関の検討が必要である。具体的には、最初に培養細胞パネルを用いた検討、次に臨床医の協力のもと、リンパ球や生検標本を用いて、リン酸化と放射線感受性の関係を検討していくことを予定している。
また、本研究の成果は放射線増感剤開発へのヒントともなる。分子標的治療薬の開発においては、従来、化合物ライブラリのスクリーニングが主流であったが、構造生物学の進展により、分子の構造からある部位に鍵と鍵穴のようにぴったりとあてはまる分子の設計ができるようになってきた。一方、本事業で見出されたリン酸化に注目することで、全く新しい放射線増感剤開発へのアプローチが考えられる。リン酸化が特別のモジュール(FHAドメイン、BRCTドメインなど)を介して、タンパク質間相互作用を引き起こす例は数多く知られている。このような場合、リン酸化部位周辺配列を模したペプチドを加えることにより、結合分子がペプチドに結合して、本来のタンパク質間相互作用が阻害されることがあり得る。もし、このタンパク質間相互作用がDNA二重鎖切断修復に必要であれば、このようなペプチドによって修復が阻害され、放射線感受性が増強される可能性が考えられる。
4.参考文献
1. Kamdar,R.P. and Matsumoto,Y. Radiation-induced XRCC4 Association with Chromatin DNA Analyzed by Biochemical Fractionation. J.Radiat.Res., 51, 303-313 (2010)
2. 松本義久 「DNA切断の「認識」の分子生物学―The End is the Beginning」電気学会 光・量子デバイス研究会 資料番号OQD-10-002 (2010)