原子力システム研究開発事業及び原子力基礎基盤戦略研究イニシアティブ 成果報告会資料集
研究炉JRR-3中性子輸送の高効率化が拓く新しい物質・生命科学
−機能場における水・プロトンの輸送現象の解明を目指して−
(研究代表者)小泉 智 量子ビーム応用研究開発部門
(再委託先) 国立大学法人東京大学
(研究開発期間)平成21年度〜23年度
1.研究開発の背景とねらい
本事業では中性子を利用した総合サイエンスを展開する研究用原子炉JRR-3(茨城県東海村)(図1)の冷中性子ビームライン(C-3)の曲導管部にスーパーミラー中性子鏡管ユニットを導入し、短波長冷中性子(波長3Å)の輸送効率を向上させる。またその下流に位置する中性子小角散乱装置(SANS-J-II)及び高分解能パルス冷中性子分光装置(AGNES)(図2)では、短波長冷中性子を有効活用するために、それぞれに新型の中性子2次元検出器とモノクロメーターを導入する。これら中性子ビーム輸送と中性子散乱装置の高度化の組み合わせで冷中性子強度の利得を最大限活かして、これを「メゾスケール構造と低エネルギーダイナミクスの観測」に活用する。具体的な研究対象にはルベアン酸銅に代表される無機・有機ハイブリッドプロトン伝導体、ナフィオン等の高分子電解質膜、バクテリアなどの単細胞生物膜という、物質から生命へと広範囲にわたる話題を選定する。これらを「水・プロトン輸送現象を担う機能場」という共通視点で捉えて中性子散乱で得られた知見をもとに包括的に議論し新しい物質・生命科学の開拓することを目指す。この研究計画は原子力機構研究炉加速器管理部、同量子ビーム応用研究部門、及び東京大学物性研究所がそれぞれに蓄えた知見を持ち寄り三者一体で協力することではじめて実現できるものである。原子炉が供給する中性子線は、中性子散乱という物性研究の手法を介して物質・生命科学という学術文化の進歩、また本ビームラインに集う人材の育成に貢献する事を実践して示し原子力基盤技術の発展に貢献することを最終目標とする。
図1 研究炉JRR-3(写真)と 研究計画の実施場所。
JRR-3は年間延べ2万/人日の利用者を誇る。総合中性子サイエンスの場としての期待が高い。
図2 JRR-3 C3ビームラインにおける2台の中性子分光器。原子力機構所有の中性子超小角散乱装置 SANS-J-II)は 1〜100ナノメートルサイズの構造評価ができる。東大物性研所有の高分解能非弾性散乱装置 (AGNES)は1〜100ピコ秒時間の水の動きを検出することができる。
2.研究開発成果
図3 スーパーミラー化に伴う試算。特性波長が3Åにシフトして中性子強度の増大が期待できる。下流の分光器(SANS-J-II およびAGNES)ではこの利得を活かす高度化を計画している。
平成21年度には冷中性子導管の中性子輸送効率を計算する中性子モンテカルロ輸送コード(McStas)を用いて、曲導管部における中性子鏡管ユニットに使用するスーパーミラー(3Qc)を検討した。図3にその結果を示す。既存のニッケルミラーでは特性波長5〜6Åにおいてビーム輸送では輸送効率が最大である。曲導管部において,
これをスーパーミラーに置き換えた場合、特性波長が3Åにシフトし中性子強度が約2.5倍になると試算された。さらにその下流の直導管部の変更を行った場合、中性子強度が約5.5倍まで増大することが明らかになった。
本事業では曲導管部のスーパーミラー化を実施する予定である。平成21年度には得られた計算結果をもとに曲導管部を構成する18駆体のスーパーミラー中性子鏡管ユニットのうち7駆体の製作を行い、これに中性子線を照射してその性能評価を完了した。また、金箔照射法によってスーパーミラー中性子鏡管ユニット導入前の中性子束を実測しAGNES (C3-1ポート)、SANS-J-II(C3-2ポート)では1.2×108、9.9×107 [ cm-2・s-1・]であることを確認した。
曲導管部のスーパーミラー化の結果得られる中性子束強度を実測した上で下流部の直導管部の形状を下流分光器と一体に設計する事を試みる。たとえばミラー形状をテーパー型に改良して下流装置の試料位置に中性子束を集光することで中性子の利用効率を試算の5.5倍を上回る事を目指し、中性子モンテカルロ輸送コードによる解析を実施しこの知見を活かして直導管部の設計を推進している。
図4 高分解能非弾性散乱装置 AGNESの模式図。
飛行時間法によって散乱中性子の運動量とエネルギー変化の両者を計測し物質内部の「動き」を追跡する。
図5 Ge結晶モノクロメータとPG結晶との入れ替えを行うモノクロ制御装置。 遠隔操作でPG結晶との入れ替えを行い中性子利用効率の拡大を図る。
AGNESは原子炉より発生する中性子を単色化し、これをフェルミチョッパーに入射してパルス化して試料に入射する。そして飛行時間法(time-of-flight)によって散乱中性子の運動量変化とエネルギー変化を定量化する分光器である。概要は図4に示した。その結果、エネルギー変化に相当する 1〜100ピコ秒時間のダイナミクスを観測する事が出来る。
平成21年度には本研究費を用いてGe(311)結晶によるモノクロメーターを新規に作製した。またこの結晶の角度制御や、PG結晶との入れ替えを行うモノクロ制御装置を完成した。この装置では総数21軸のステッピングモータを駆使するため制御プログラム、および制御システムをシーケンサ等の構成機器で新規に構築した。図5に装置の写真を示した。
Ge結晶をモノクロメータとして用いる目的は、スーパーミラー化で増大する波長3Åの有効活用にある。その結果、現状よりより微細な拡散距離の動き(約1Å程度)を検出する事が可能となる。この成果をプロトン伝導体に適応すれば、水の動きとは独立にプロトンの動きを検出できると期待している。
3Qcスーパーミラー化以前のC3ビームラインにてAGNESでは水和量が異なるルベアン酸銅水和物の弾性散乱スキャン(固定エネルギー範囲散乱強度スキャン)を行い水の拡散に関して以下の成果を得た。水を十分に吸わせた試料の弾性散乱強度は、熱容量のピーク温度付近で顕著に変化することが分かった。この結果より弾性散乱強度の減少は、細孔中で自由に動く水の割合に直接対応していることが明らかになった。同試料についてさらに中性子スピンエコー実験を行った結果、細孔中には速く動く自由水、遅く動く凝縮水に加えて、100nsの時間スケールでは止まって見える非常に遅い水素原子が存在することが分かった。
SANS-J-IIは速度選別機で単色化した中性子を全長10mの装置コリメータ部で整形して、試料に照射し、反面に発生する小角散乱を前方の2次元検出器で検出する。図6に装置の概念図を示した。従来のSANS-J-IIは2次元面を一本の芯線をジグザグに張り巡らせることで構成したシングルワイヤ型検出器を採用してきた。しかしこの場合、高強度の小角散乱が入射した場合、中性子の数え落としが起きる。スーパーミラー化の利得を活かす事が出来ない。
図6 SANS-J-IIの概念図。全長が20mと巨大であるために利用時はコリメータ部(試料上流)、
および散乱層(試料下流)は真空に保つ。小角散乱は試料の背面の2次元検出器で検出する。
図7 SANS-J-IIにおけるマルチワイヤ型2次元検出器。80本の1次元棒状検出器を敷き詰めた。利用時は検出器周辺が真空状態になるために、前後蓋を占めて検出器周辺に大気を循環させる。
そこでスーパーミラーの設置に伴い増強する波長3Åの中性子を取りこぼす事無く検出できるように80本の1次元棒状検出器を平面状に配置することでマルチワイヤ型2次元検出器を完成した。図7に正面からの写真を示した。これを中性子小角散乱装置 (SANS-J-II)に設置し、既存のデータ取得システムと接続することで中性子小角散乱を検出することに成功した。図8にはポリスチレン/ポリイソプレンジブロック共重合体が形成するラメラ状ミクロドメインによる小角散乱を検出した例を示す。1次元棒状検出器の配列に対して異なる方向に回折が出るように試料を設置した。得られた小角散乱はいづれの方向に対しても等価であり、小角散乱用の2次元検出器として充分な性能である事を確認できた。
3Qcスーパーミラー化以前のC3ビームラインにてSANS-J-IIでは、生きた単細胞の重水交換過程より細胞膜における水輸送を明らかにする計画のもと、重水置換した微生物(酢酸菌)について中性子小角散乱測定を行い、重水とのコントラストのもとで細胞膜の構造解析を行い予備検討を終了した。3Qcスーパーミラー化以後は高強度な中性子を活かして細胞膜における水の拡散の過程を追跡する計画である。
図8 マルチワイヤ型2次元検出器による中性子小角散乱の計測。 様々な方位で試料を設置してラメラ状ミクロドメイン(高分子試料)の回折を観測した(左図)。各回折に対して取得して散乱カーブはそれぞれ等価であることを確認した(右図)。
3.今後の展望
平成22年度には、残りのスーパーミラー中性子鏡管ユニット(11駆体)の製作を行うとともに、据え付け設置の技術検討を開始する。設置作業は平成23年度の原子炉停止期間に実施する。また水・プロトン輸送現象に関連する物質研究を平行して推進する。